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純ジャパSEが外資系IT企業に転職する方法(1)

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当ブログは主にビジネス系の英語で私が普段使っている、または勉強したフレーズや英語表現などを書いていますが、ここでは外資系IT企業のキャリアに興味がある方への情報を自分目線で提供してみる事にしました。 元々帰国子女でもなくなんでもなく、純ジャパ4流文系大卒からIT業界でなんちゃってSEとしてのキャリアをスタートさせた私ですがなんとか外資系IT企業に潜り込む事ができております。現在、日本企業に努めていらっしゃって外資系のキャリアに少しでも興味がある皆さんの参考になれば幸いです。

1. 想定ターゲット読者

  • 現在いわゆるSE(システムエンジニア)として働いている方。
  • 留学経験等のない所謂”純ジャパ”の方。
  • 外資系IT企業に興味のある方。

2. SE の定義

SEと言っても色々だと思うのでここで言う SE とは以下のような職種とします。

  • 業務系SE:お客さんのところへ出向いてシステム仕様を作成する方。
  • インフラ系SE:サーバの設計や構築を主にしている方。
  • 開発系SE:プログラミングを主にしている方。
  • PM系SE:プロマネ業務を主にしている方。

外資系ITとの親和性については1. 業務系SE→2. インフラ系SE→3. PM系SE→4. 開発系SEかなと思いますが、企業によって求めるスキルセットが違うのでいずれもチャンスは十分にあると思います。

3. 何故ノウハウが書けるのか

私は文系大学を卒業してSEの職につきました。しかし国内Sierにはありがちの「Excel方眼紙と睨めっこする毎日」でテクニカル的な経験は殆ど積めずに日々を過ごしていました。なんども辞めよう辞めようと悩み思い詰めて体調を崩してしまうこともありましたが「自分は絶対にこんなところで終わらない、いつか見返してやる。」と、Excel方眼紙との戦いが終わった後は真っ直ぐに自宅に帰ってプログラミングの勉強やサーバの構築を夜中までやっていた事を覚えています。しかし当時の先輩達は私やっている事を「物好きな奴」くらいにしか受け取っていませんでした。当時の先輩達からしたらテクニカルな事は外注にお任せだったのだと思います。私が家に帰って勉強している事を評価してくれる人は誰もいませんでした。


「もう限界かな」と思っていた時に会社でグローバル人材なるものを育てていく方針が打ち出されビジネス英語の研修生を募集する事になりました。日々重要性の増す海外案件を担当できる人材を育てるとの事でした。その当時の私は何故か「これしかない」と考え一目散に応募する事にしました。幸い応募者が少なくすんなり研修にエントリーする事ができました。研修の終了条件はTOEIC600点以上でしたが、私の考えたプランは「目標を大きく達成して上司のさらに上の人に一目おかれるようにする」そして「海外に行かせてくれと直談判する」でした。そこから全精神をTOEIC試験に注ぎ込み、結果目標を大きく超えるスコアを出す事ができ役員に「英語ができる奴がいるらしい」というイメージを植え付ける事に成功しました。ここから私のグローバルキャリアが始まります。


それから暫くして、めでたく海外のプロジェクトにアサインされ日本と海外を行ったり来たりする生活を3年ほど続けました。初めて仕事で行く海外はそれはもう今までと全く違う環境で良い意味でも悪い意味でもエキサイティングな毎日でした。一番印象に残っているのは一緒に働いてくれた現地の同僚の事です。彼らはあくまで雇われている身ではありますがプロフェッショナリズムに溢れています。自分の価値をあげるにはどうしたら良いのか、Salary(給料)を上げるためには何が必要かを常に考えながら行動しているように見えました。無駄な事はなるべく行わず常に最短距離を疾走する、日本企業に染まり切った私には衝撃的でした。こんな風になりたいと率直に思いました。


しかし当時の私はわざわざ日本から出張って行ったのにもかかわらず、何一つとしてプロジェクトに貢献する事はできなかったように思います。まず英語というかコミュニケーションがとれない。TOEIC高得点ホルダーを提げて行ったのですが全く歯が立ちませんでした。出張先は東南アジアで彼らも英語は母語ではありません。それなのに言っている意味がわからない。正確には音は分かるのですが言っている事の意味が分からないという状況でした。俗に言う「TOEIC出来るけど会話は全く」の人だったのです。それからはTOEICの勉強は一旦止めてビジネスで使える表現をがむしゃらに勉強しました。勉強したフレーズを海外の同僚相手に使ってみながら相手の言っている事が分からない時はそれこそ身振り手振りで伝えました。この経験は今でも活きていると思います。結果、なんとなくですが「海外を舞台に働く事」が自分の中の日常に吸収されていく感じがしました。


その後、当時の海外プロジェクトが収束していくのを機に一度転職をしています。実は国内企業だったのですが仕事内容が合わず1年未満で退職しています。主に海外プロジェクトで欧米圏に出張っていたのですが、そこで重要な出会いをしています。あまり詳しくは書けないのですが尊敬する人との出会いがありました。仕事は合わなかったのですがそこで重要な方と出会う事ができました。その方との出会いもそうなのですが、当時感じたのは前職の在籍期間10年間はまるで時が止まっていたかのようだ、という事です。何もない日常が、転職をした途端に(仕事は合わなくても)人生がドラスティックに動き出す、旅行でも行った事ないような土地で働く経験ができる、全く違う価値観を持った人と出会う事ができる、憧れていた海外がいい意味で普通になる、と言う事です。これは他の誰でもない自分が決めて手にした経験なんだなと思う事ができました

 

どのタイミングであれ、自分で決めて、自分で計画し、自分で実行し、自分で結果を出した事は誰かが見てくれています。今すぐではなくとも必ず次に繋がります。それは転職という形かもしれませんし、新たな人との出会いかもしれません。夜中まで勉強していた事も、自分でやると決めたTOEICも、海外に行きたいと上層部に直談判したことも全て今に繋がっています。やっぱり努力って大切なのです。ですので今もし皆さんが悩んでいるとしたら腐らず準備をして下さい。必ず誰かが見てくれています。人事を尽くして天命を待つ、です。


その後、私の方は縁あって今の外資IT企業にテクニカルコンサルタントとして採用していただく事ができました。現職にも100%満足しているかと言ったら、まぁそうではないですが徐々に目標に近づいているなという感触を得る事はできています。転職する事がゴールではないですが意思ある人にはチャンスを、努力した人が報われて欲しい、努力は人を裏切らない事を証明して欲しい、そんな世の中になって欲しい、という思いでこの記事を書いています。

 

ですので言いたいポイントは、「こんな私でもできたんだから、意思さえあれば誰でもできる」という事です。私の経験が少しでも皆さんの参考になれば良いなと思っています。


ちょっと長くなりそうなので続きは別記事にします。